五連のアーチ構造の木造橋『錦帯橋』。
我が国最大の文化遺産です。
歴史深い『錦帯橋』ついてご紹介します。
錦帯橋誕生までには、多くの偶然が運命のように重なり合っています。
関ヶ原の戦いにより吉川家が 岩国を守ることになったこと。
戦後の緊張感から 防御に重きを置く形になり 岩国城を築き、
錦川を天然の外堀として 両岸を中心に城下町を造営したため 橋が必要になったこと。
研究を続けて完成した橋は 流されることもありましたが
何度も架替えを繰り返しながら威容を保ちました。
春は桜、夏は鶏飼いや花火、秋は城山の紅葉、冬は雪景色
四季おりおりの色彩豊かな景観が楽しめます。
春の夜桜
夏花火
秋の紅葉
冬の雪景色
錦帯橋成立の謎
岩国城下を二分して流れる大河の錦川。
そこに架かる木造の造形美「錦帯橋」は5連のアーチ構造を有する、木造橋としては我が国最大の文化遺産です。
錦帯橋は元々「城門橋」、つまり城の大手門に架かる橋でしたが、架橋されたときに城はすでに取り壊されていました。
錦帯橋の創建には、「流れない橋を架けたい」藩主や藩民の切なる願いや、岩国藩誕生に至る歴史的背景の中に橋成立の謎"小藩の熱き思い"が秘められています。
錦帯橋創建への道のり
戦国時代、毛利家を宗主と仰ぐ吉川宏家は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに西軍に組みしながら、毛利・徳川両家間の和議成立に奔走し、戦いでは中立を厳守し西軍敗北の一因となりました。
しかし、その行動は結果的に徳川幕府による毛利家取り潰しを防ぐことになります。
毛利家は防長二国に減封され、吉川家は出雲国富田から周防3万石(その後6万石)に移行され、近世岩国藩の基礎を築いたのです。
錦帯橋は藩の「城」
岩国城破却から58年後の延宝元年(1673年)、三代藩主吉川広嘉は、それまでの平坦な柱橋にかえて木造5連のアーチ橋「錦帯橋」を架橋しました。
それは城門橋と呼ぶより、岩国藩にとってはまさに城に取って代わる存在です。橋の上部は木造木組構造を駆使し、下部はアーチ部分の橋脚を排し、築城技術を取り入れた洪水に耐える石垣づみの橋脚を配しました。まさに、錦帯橋は藩の「城」と呼ぶにふさわしい構築物といえます。
写真:錦帯橋架橋のヒントとなる「西湖遊覧志」
錦帯橋が秘める
小藩の熱き思い
初代岩国藩主となった吉川宏家は慶長13年(1608年)錦川の右岸に岩国城を創建しましたが、元和元年(1615年)幕府により発せられた「一国一城令」により破却されることになります。
つまり、幕府の毛利家存続は、単なる毛利家の存続ではなく、吉川家と毛利家を一藩とみて存続させたことが明らかとなったのです。
宏家は宗家を重んじ、自らの城を破却したのです。
以降徳川268年間にわたり、岩国藩は毛利の「支藩」としての悲哀をかみしめ、大名(諸候)に列せられたのは、明治元年(1868年)になってからことです。
錦帯橋の沿革
年号 |
西暦 |
内容 |
---|---|---|
慶長13年 |
1608 | 岩国城天守閣完成 |
延宝元年 |
1673 | 錦帯橋が完成 |
延宝2年 |
1674 | 5月:洪水により中の3つの反橋が落ちる、両側の柱橋は無事 11月:再建工事が完了、渡り初め式 |
貞享2年 |
1685 | 大地震により橋脚が沈下 |
大正11年 |
1922 | 史蹟名勝天然記念物保存方により名勝に指定される |
昭和18年 |
1943 | 当初の指定地域から、上流350間、下流230間の地域が追加指定される |
昭和25年 |
1950 | 文化財保護法に基づく「名勝」となる。 延宝2年以来、不落を誇った橋もキジア台風による洪水で流失する |
昭和26年 |
1951 | 昭和の再建工事起工 |
昭和28年 |
1953 | 渡り初め式 |
平成13年 |
2001 | 平成の架替工事起工 |
平成16年 |
2004 | 平成の架替工事、完成式及び渡り初め式 |
錦帯橋の名前の変遷
橋が完成して以降、「五龍橋」「城門橋」「龍雲橋」など、様々な名前で呼ばれた錦帯橋。宝永年間(1704〜)以後、文学的な表現として「錦帯橋」と呼ばれるようになりました。
再建された錦帯橋の特色
地元山口県人はもとより、日本全国から愛され続ける錦帯橋。NHKで放送された「21世紀に残したい日本の風景」では、中国地方で堂々の1位に輝き、その存在感をあらためてアピールしました。
知っていますか?
虹の架け橋
橋と日本人(上田篤著/岩波新書)に、次の記述があります。「中国の北宋の都に、虹橋と呼ばれる橋があった。12世紀のころの都の繁晶記である『東京夢華録』によると、東水門の外七里のところにある橋を虹橋と言う。この橋には橋脚がなく、すべて巨大な材木を使ってアーチ式に架橋し、朱い塗料で飾りたてたところは、ちょうど空に虹が架かったようである。この虹橋については、張択端という人の「清明上河図」という絵があって、この虹橋とその賑わいの模様が、詳細に画かれている。」
この虹橋の再現番組がテレビで放映されました。錦帯橋の木造アーチと同じような構造を持つ橋が昔の中国に在ったということです。日本と中国の不思議な縁を感じます。
流失から再建へ
昭和25年(1950年)のキジア台風で、276年もの間風雪に耐え「国宝に」との話もあった名橋は、多くの市民の見守る中、濁流に飲み込まれました。
錦帯橋を失ったことは市民にとって大きな悲しみでしたが、その日の岩国市議会では、「錦帯橋復旧再建に関する決議」が行われ、全市を挙げての再建運動が展開されました。
昭和26年(1951年)再建に向けて起工式が行われ、昭和28年(1953年)1月に渡り初め式が、5月に完工式が挙行され、流失からおよそ2年の歳月を費やし、岩国の象徴と誇りでもあった錦帯橋は、市民の粘り強い運動、熱意のもとによみがえりました。
再建された錦帯橋の特色
流失した橋台は、築城技術を応用した石造りでしたが再建後の橋台には、強度を確保するために橋台基礎に"円形井筒工法"を採用し、中心部にコンクリートを打ち込み万全を期しました。
また、橋桁の荷重を受け止める桁受は、隔石といわれる石でしたが、再建後は、沓鉄と呼ばれる鋳鉄が使用されています。
匠の技
河原から錦帯橋本体の構造部(裏面)を見上げると、そこには巻き金とカスガイを使用した"木組みの技法"を見ることができ、頑丈な木組みの様子がわかります。橋上からの圧力で強度が増し、一層頑丈になる仕組みです。
幕府の「一国一城の制」により、天守を破却され、藩の象徴を失った岩国藩にとって、錦帯橋は城に代わる象徴、まさに『水平の天守・水平の塔』なのでした。
錦川の河原からの眺めは必見のスポットです。
山口県の最東部に位置する岩国市。
海に面していることから漁業も盛ん。
そんな岩国も、今では中国地方で
有名な観光地になりました。
今回は、そんな岩国市で
ぜひとも訪れて欲しい
観光名所をご紹介します。
ここ、岩国城下町を舞台にした物語、
宇野千代の名作「おはん」
岩国には、千代が日本中に自慢した錦帯橋や
文学碑、千代の生家が点在し、
千代ゆかりの街並み、山河が
昔と変わりなく息づいています。
お国はどちらですが、と訊かれると、
「岩国です。あの錦帯橋の」と
答えるのが私の癖である。
いつ帰って見ても錦川の水は澄んでいる。
魚が泳いでいるのがよく見える。
春夏秋冬の錦帯橋は、それぞれに美しいが、
桜の頃の錦帯橋は、特に大好きである。
この錦帯橋をわたる度、
私は何とも言えない幸福な気持ちになる。
いくら自慢しても自慢しきれないほどの
気持ちになるのです。
岩国城下町マップ
萩城跡指月公園
当館から約1時間50分
萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城しました。夜は天守閣跡の石垣などがライトアップされ、水鏡に映る美しい姿をご覧いただけます。
旧湯川家屋敷
当館から約1時間50分
主屋には玄関、座敷と茶室などがあり、特に茶室回りの意匠が優れています。藍場川沿いの民家では環境問題に配慮した水の利用法を見ることができます。
伊藤博文旧宅
当館から約1時間50分
木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家。萩藩の中間伊藤直右衛門の居宅であったが、安政元(1854)年に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家をあげて居住。
萩博物館
当館から約1時間50分
萩博物館は、萩の自然や歴史、民俗、文化などあらゆることが学ぶことができます。かつての武家屋敷の特徴を再現した外観も特徴です。
高杉晋作誕生地
当館から約1時間50分
幕末の風雲児・高杉晋作の生まれ育った家です。建物は江戸期より縮小されていますが、当時の面影がよく残り、屋敷には晋作にまつわるものが展示されています。
菊屋横町
当館から約1時間50分
藩の御用商人、菊屋家の住宅があった、白壁となまこ壁の美しい通りです。高杉晋作や26代総理大臣田中義一の誕生地もあり、「日本の道百選」に選定されています。
厳島神社の能舞台
当館から約1時間10分
国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。現在、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つでもあります。春の桃花祭神能ほか、献茶祭ではここでお茶が点てられ御神前に献じられます。
舞楽
当館から約1時間10分
現在では年に数回、厳島神社で舞楽を鑑賞することができます。中でも春の「桃花祭」と秋の「菊花祭」は見応えがあります。
大聖院
当館から約1時間10分
天下統一を果たした豊臣秀吉が盛大な歌会を催し、祈不動堂を再建して念持仏の波切不動明王を奉納したことでも知られ、厳島神社の別当職として祭祀を司ってきた宮島の総本坊です。
宮島歴史民俗博物館
当館から約1時間15分
宮島の歴史と文化にまつわる資料や民俗文化財を展示する資料館です。
平清盛公ゆかりの資料が多く展示されています。
「平清盛坐像」やNHK大河ドラマ「平清盛」で使用された「宋剣」などが展示しております。
(※画像は平清盛ドラマ館です。現在は宮島歴史民俗博物館に併設されていた平清盛ドラマ館は閉館となっておりますが、「平清盛坐像」は宮島歴史民俗博物館にございます。)
弥山散策
当館から約1時間40分
標高535m。視界を遮るものがなく、360°拡がる瀬戸内海の景色を堪能できます。天気のいい日には遠く四国連山まで望めます。
当館の周りには、
魅力的なゴルフ場が多数。
瀬戸内海の眺望と
岩国の自然の中を
巡るコースの数々を
お楽しみください。
和木ゴルフクラブ
当館から約20分
岩国市街地〜瀬戸内海を見下ろす高台に設計されたコース。微妙なアンジュレーションのあるフェアウェイ、広いベントの1グリーン、 巧みな池やバンカーが配置された戦略性の高いコース設計です。
美和ゴルフクラブ
当館から約30分
広くフラットなコースでゴルフ初心者から玄人まで楽しめるコースです。中国地方では最大級の広さを誇りOBも少ないことからも年配のかたから最近では女性の方にも人気のコースです。
岩国センチュリー
ゴルフクラブ
当館から約40分
丘陵コース。ほとんどのホールから瀬戸内海を見渡せ、開放感あふれる魅力的なコース。自慢のサンドベントの高速グリーンは、微妙なアンジュレーションにショートパットも油断はできません。
春夏秋冬、岩国の
イベントをご紹介。
錦帯橋では、
四季おりおりの
色彩豊かな景観が
楽しめます。
春の夜桜
3月
錦帯橋ロードレース
4月
お花見シーズン
府谷シバザクラまつり
錦帯橋まつり
夏花火
6月から9月
錦帯橋の鵜飼
6月
府谷ほたるまつり
7月
岩国港みなと祭花火大会
ゆう土曜夜市
玖珂夏祭り
夜〜遊びフェスタ
8月
錦川水の祭典
しゅうとう花火大会
秋の紅葉
9月
岩国城ロープウェー
観月運転
10月
岩国祭(芸能大会)
沼田ふれあいまつり
11月
美和サンチャロウまつり
鞍掛城まつり
周東食肉フェア
冬の雪景色
1月
岩国藩鉄砲隊の初放し
初日の出早朝運転
消防出初式